◎中野で開業した頃 2

IT時代を皆様と開く楽しみ

中村賢二(大和町・昭和44年教育)

21世紀の最先端をお仕事に選んだ中村氏。今度開かれるパソコン部会にも大協力OKとのこと。さあ、皆さんもパソコン道楽、いかがですか?

◆懐かしい、東伏見の早大プール

 昭和21年11月1日東京は武蔵野、大空襲を受け跡形も無く破壊された中島飛行場近く、父が復員後農業をやる為に借りた農家の隅で生まれ、私が4歳のころ、両親は、東伏見稲荷商店街に転居し、履物卸問屋を開業し、東京都下地区遠くは八王子片々まで商売を真面目に手広く伸ばしたようです(スーパーマーケットの台頭で廃業しましたが)。私が会社を興したことは、この父の影響かもしれません。
 小学校時代の夏遊びは、西武新宿線東伏見駅前の早大プールへ水泳遊びがほとんどで、子供心にあの10メートルのジャンプ台から華麗に飛び込みをしていた、早稲田の水泳部の学生に憧れを感じたものでした。今はそのプールも無くマンションになっているようで、残念な寂しい気持ちです。
 中学校では野球部でしたが、肩と肘を傷めて野球選手を諦めた後、級友に誘われ、早大OBの方が集まって演奏していた、カントリー&ウエスタン音楽の良さを教わり、その時来のC&W音楽の熱狂的FANです(最近また、バンド演奏を再開しました。メンバー募集中です)。音楽狂いで勉強しなかったので母が心配して、東伏見の早大グランド近所に下宿していた早大文学部の学生(茨城県出身で酒井先生とお呼びしたと思います)に家庭教師をお願いしたお陰でなんとか希望の都立大泉高校(西部池袋線大泉学園駅)に入れました。
高校では、ボランティア的なクラブ活動にて早稲田高等学院と交流があったと記憶しています。私の学校生活環境そのものが早稲田に因縁深いようでした。

◆早慶戦の出席率は100%

「中野」との付き合いは、昭和40年4月、早稲田大学教育学部理学科数学に入学したころからです。昼間は、音楽クラブの溜まり場喫茶店、西早稲田の「クレバス」、グランド坂下の「WASEDA」に終日入りびたり、暗くなると営団地下鉄東西線中野駅止で毎日のように中野駅下車し、飲み歩いたものです。
 ブロードウェイ入り口にあった「いづつや」というおもちゃ屋(今は、カメラ店ですが)の長男、太刀川正樹君(都立大泉高校、早稲田で一緒)に、よく引き回されて、北口はサントリバー「ブリック」、南口は丸井裏の中野3丁目狸小路「都」などが本拠地でした。
 一番の思い出として、4年間の早慶戦全て前夜徹夜しての応援合戦には、出席率100%だったことです。7回のエール交換では、半分眠っていた顔を涙でぐしゃぐしゃにして体を震わせて応援したものでした。当然その夜は、新宿歌舞伎町経由中野でした。

◆長期入院で芽生えた転業心

 就職は、先輩を頼って日本ユニバックKKに入りました。専門は、今を時めく通信情報関連ソフトウェアの開発担当で、野村證券のオンラインシステムをはじめ、都市銀行地方銀行の開発で徹夜徹夜の連続でした。
 徹夜の仕事が多かったこともあり、疲労からくる腰痛が椎間板ヘルニアとなり、遂にロス・オリンピックの年には、手術で4カ月欠勤しました。4カ月も会社を休むと企業戦士/猛烈社員(両方とも今や死語ですが)もいろいろと会社のこと自分自身のことなど見方が変わります。この時分に今回の転業心が芽生えたと思います。この病気欠勤によりマニュアル制作部隊へ転属、マニュアル翻訳発注業務を9年間経験、会社が推奨する転職プログラムに則り、平成10年2月に中野区中央にて、翻訳会社を設立いたしました。
 コンピュータ業界は、「IT革命」という言葉に象徴される「IT産業」が欧米主導での追風状態でしばらく続くだろうと言われております。その先端ツールであるパソコンの開発/発売サイクルもなんと数カ月という早さです。業界をリードして行くには、新技術を載せたハードウェア/ソフトウェアが世に出てから、如何に早く良い日本語マニュアルを世に出して、お客様の満足度を得られるかが勝負です。我々の業界翻訳は、コンピュータ関連の技術的な専門知識、当然英語力、さらには顧客にわかり易い日本語の文章力という三位一体の知識が必要となります。この産業翻訳業界には、少しコンピュータ技術がわかる個人翻訳者や翻訳会社はたくさんありますが、当社は、そういった人達が作成した技術翻訳をさらに内容をチェックしてより良い日本語に組み立て直して、お客様に翻訳結果を提供する会社です。
 現在は、日本ユニシスのOB・OGを中心として20名以上と契約し、ハイレベルな専門性を保っています。契約している翻訳者のレベルアップをはかり、ゆくゆくは一般の個人翻訳者の教育もしていきたいと考えます。

◆稲門会への貢献も視野に入れた将来への展望

 将来的には、翻訳作業そのものの効率化・高品質化は無論のこと、コンピュータ上で展開されるオンラインヘルプやインターネットなどの多種多様なメディアに適用できるインテグレートなソフトウェア開発も目指し、拡大していきたいと思っています。
 また、現在のオフィスは西新宿と中野坂上の中間に位置し、人通りもまずまずのところですので、インターネットやEメールを自由に使えるオープンな「セルフ・ユースPC」も計画中です。
 中野稲門会の諸先輩方々にも優先してお使いできるフリー・ユース・コーナーも考えていたいと思っております。アイデアが御座いましたら、どしどし御連絡いただければ、幸いです。
 日本トランスウェア株式会社は、開業3年目の若い会社ですが、システム・エンジニア経験30年の実績を活かした翻訳技術、コンピュータの利用技術を通して社会に貢献して行きたいと思っております。
 最後になりましたが、先日の初参加ゴルフコンペでは、唐木先輩、織田先輩をはじめ、諸幹事先輩、同パーティの中尾、山本、山村各先輩には、大変お世話になりました。また、稲門会入会時には、平崎先輩にご面倒をお掛け致しました。この場をお借りして、御礼申し上げるとともに今後もご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い申し上げます。

〒164-0011
東京都中野区中央1-1-3新都心中央ビル1F101
日本トランスウェア株式会社 中村 賢二
携帯:090-4822-9388電話:03-5337-8180
FAX:03-5337-8118 http://www.jtl.co.jp

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