シリーズ ワセダウーマン VOL1

 鍼灸院開業


  田中まり子(杉並区/昭48年文)

暗中模索の末、たどりついた鍼の世界

 昭和44年に早稲田に入学した当時、鍼灸師になろうとは夢にも思わなかった。というより、そういう職業があることすら知らなかった。
 私が、大学に進学しようと思ったのは、当時自分の将来の方向がまったく見えなかったからである。これから先、どっちを向いて歩いたらよいか見当がつかなかった。とりあえず大学に入り、4年間で決めればよいと猶予期間ともいえるような気持ちからだった。
 ところが、当時の状況は、学生運動が盛んで、入学1カ月ほどでストライキに入り、授業はなし。まだ友達と呼べるほどの人もおらず、アルバイトに精を出すことになる。4年間というと長いようであるが、暗中模索のものにとっては短く、まだ目標が定まらないまま卒業することになってしまった。大学入学以来、自活していたのでとにかく生活していかなければならず、事務員をすることになる。学習塾をやってみたり、編集制作をしたり、その時々で精一杯やってきたが、自分の居場所を見つけることができなかった。
 あっちにぶつかり、こっちにぶつかり、若かった分だけぶつかり方も激しく、気がつけばよろよろしながら満身創痍。こういった精神的疲労、肉体的疲労が極度に達したとき、眼の焦点が合わなくなり見えなくなってしまった。病院の検査では、器質的は変化はなく単なる眼精疲労と言われた。休めば治ると言われたが、休めるほど優雅な身分ではなく、あちこちを転々としたあげく辿り着いたのが鍼治療であった。
 眼から鱗とはこのことかと思うくらいに引き付けられてしまった。こういう世界があったのかという驚きとともに、自分もこの世界に入ろうと決めてしまった。しかし、まわりの者には皆反対された。2年半ほど通院した鍼灸院の先生にも反対された。40歳を過ぎてからの勉強は並大抵ではないし、たとえ資格を得ても、身分の保証も収入の保証もない、というのがその理由であった。

選んだ道の奥の深さに覚悟を決める!

 これならば進んでいける、と手応えを感じたところである。反対されて、はいそうですか、と引き下がるわけにいかない。こうと思ったら一直線。焦点は鍼灸に注がれたまま、ただひたすら歩き出す。少し勉強しはじめると奥が深いことが徐々に分かり出す。半年ほどすると、底無し沼に足を踏み入れたかとゾットする。一呼吸して、よしそれなればトコトン付き合っていこうと覚悟を決める。
 鍼灸治療、いわゆる東洋医学と西洋医学との根本的な違いは、人間を全体で見るか、部分で見るかということに尽きる。鍼灸治療では、たとえ腰痛の治療であっても、肝、心、脾、肺、腎という五行、および陰陽などから、その人の現在の体質というか、傾向というか、を把握し治療にあたる。したがって、ご本人は腰が痛いということに注意が向いているが、その原因がどこからきているのかをみていく。お腹の中、たとえば子宮や卵巣が悪くても腰痛になることもある。精神的ストレスから起き上がれなくなることもある。心と体は密接に関連しあっていて、心の叫び、体の不調、がいたみとして現れていることがよくある。
 またアレルギー性疾患、免疫性疾患に鍼灸がよいといわれるのは、鍼・灸治療によって、神経系・内分泌(ホルモン系)・免疫系が腑活化されるからである。鍼灸治療は、その人自身が持っている力を整え、活性化し、抵抗力をつけ、元気にする、「気」の治療ともいえる。
 早稲田に旅して、波風うけて、やっと辿り着いた鍼灸治療ののミチ。遅い開始であるが、私には適時であった。もっと早くめぐり合っていたらという思いもあったが、早ければこれほど没頭できただろうか。結婚、さまざまな職業、離婚を経て辿り着いたミチ。いろいろなイタミを経験し、少しはイタミが分かるようになったようだ。
 以前は、早稲田大学卒業ということに、なんとなく抵抗があり、大きな声では言えなかった。早稲田で何を学んだかと言われると返答につまった。私が早稲田で学んだことは、波風うけてもへこたれない、しなやかな生き方である。できることなら、今後は根をしっかり地に張りながら、なおかつしなやかに生きて行きたい。

 三和鍼療院 田中まり子
 166−0011杉並区梅里2−25−18−103
 電話5932−4189(予約制)
 火・水・金 9:00〜12:00、15:00〜19:00
 土     9:00〜15:00
 月・木   出張治療(出張料2000円)
 治療費  3000円 初診料 1000円

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