緊急寄稿
幻の湖・イシククル湖を訪ねて  〜わがシルクロードの旅〜


時事通信社・時事総研客員研究員 増山栄太郎(中野・昭28年一文)

◆定年後の例年行事
 定年後はシルクロード踏破と思い定め、実行に移してから五年たった。最初の年は中国新彊ウイグル自治区のウルムチからタクラマカン砂漠の北辺を抜け、パキスタン国境まで、その翌年はタクラマカン砂漠の南辺を通りウルムチへ、これでタクラマカン砂漠は一周したことになる。その翌年は中央アジアへ、と言った具合に毎年一回、夏休みを利用しての旅だ。
 だが、唐の都・長安(現在の西安)から最終目的地ローマは遠い。まさに尺取り虫のような旅だ。だが、よくしたもので「シルクロード病患者」と称するマニアは結構いるものだ。旅行会社もそれを狙ってか、様々な企画ツアーがある。それを見つけては申し込む。だが、元気の積もりでも、齢はそろそろ古稀に迫る。踏破したのは、まだ全行程の三分の一程度だ。この分ではあと何年かかるやら。そろそろ旅行の回数を増やし、スピードアップしなければ……と考えている。

◆拉致事件と重なったキルギス行
 いささか前置きは長くなったが、今年夏のシルクロードの旅はカザフスタン、キルギス、ウズベキスタンの中央アジア三カ国、十二日間の行程だ。
 ところが出発前日の八月二十三日、キルギスの南西部の山岳地帯でJICA派遣の日本人鉱山技師四人が武装組織に拉致されたというニュースが飛び込んできた。旅行会社は危険地帯には入らないと言うし、今さらキャンセルもできないし、ままよとばかり旅立った。
 カザフを抜けてキルギスに入ると、さすがに現地の人々は拉致事件についてよく知っており、同情もしてくれた。キルギスの首都、ビシケク(旧名フルンゼ)は拉致事件以来、今や日本人にすっかり馴染みの名前になったが、ここのホテルにわれわれ一行が到着したのは八月二十七日夕刻だった。ロビーのテレビの前に人だかりがしている。テレビ・ニュースの冒頭に拉致事件に関して国防軍幹部の記者会見が映し出されていた。人だかりのなかの一人が「奴らの狙いは捕虜の交換(エクスチェンジ)らしい」と英語で解説してくれた。つまり武装勢力は、人質解放と交換にキルギスやウズベクに拘束されているテロ分子の釈放を要求していると言うのだ。拉致事件がわれわれの予想以上に現地の人々の関心を集めていることを知った。

◆玄奘法師も見た”幻の湖”
 ところで、私にとって今回の旅行の最大の 目的は”幻の湖”イシククル湖をこの目で見ることだ。イシククル湖と言っても一般の人には余り聞き慣れないかもしれないが、シルクロード・マニアにとっては垂涎の湖なのだ。なぜ、ここが幻の湖なのか。玄奘法師の『大唐西域記』の次の一節を読んでいただきたい。
「山を行くこと四百余里で大清池についた。周囲千余里、東西に長く南北は狭い。四面山に囲まれ、多くの河川の水流はここに集まっている。色は青黒みを帯び、味は塩辛くもあり苦くもある。大きな波が果てしなく、荒い波が泡立っている。龍も魚も共に雑居し、不思議なことがときおり起こる。それで往来する旅人は供え物をして福を祈るのである。魚類は多いが、あえて漁をして捕獲するものもない」
 周知のように玄奘は今から千三百年前、仏法を求めて長安から遥かインドへ旅立った。途中、万年雪の天山山脈を越えて多くの人馬を凍死させ、やっとたどり着いた眼下に「清池池」が広がっていた。その思いはいかばかりであったろうか。だが、その湖は冬も凍らず現地語で「熱い(イシク)海(クル)」と呼ばれ、龍が棲み旅人に悪さをすると言う。これほど不思議な湖があろうか。
 この不思議さに惹かれて多くの旅人や探検家がこの湖を目指した。帝政ロシア時代の有名な探検家ニコライ・ブルジェワルスキー(1839-88)もまた、この地を目指した。彼も、玄奘と同じく現在の中国領タクラマカン砂漠から天山山脈を越え、湖岸のカラコルにたどり着いた。だが、彼は途中の川水をノドの渇きのままに手に掬って飲んだ。中央アジアでは探検家にとっても生水はタブーであった。
 その晩から猛烈な発熱と下痢で二週間後に死去した。原因は腸チフスだった。享年五十一。
「私の遺骸はぜひイシククル湖岸の眺めのよいところに埋めてくれ。墓標には<探検家ブルジェワルスキー>だけでよい」
 彼の遺言通り遺骸は、湖岸の景勝の地に埋葬された。現在湖岸には鷲の像を頂く高さ九メートルの巨大な記念碑が建っている。
 作家井上清も生前、この湖を訪ねることを終生の夢としていたようだが、果たせなかった。当時まだ、冷戦時代でこの地域への外国人の立ち入りが禁止されていたからだった。

◆湖底に沈むオアシス都市
 イシククル湖は玄奘も記したように、東は天山山脈の7000メートル級の高山を背に四囲山に囲まれ、湖面は海抜1609m、東西180km、南北30-70kmの細長い湖だ。周囲700kmで琵琶湖の9倍もある大きな湖だ。透明度もバイカル湖に次いで高く、その湖の色は吸い込まれるような青さを湛えている。まさに龍が棲んでいてもおかしくない雰囲気である。もちろん、龍は生息しないし、現在では漁も行われている。
 だが、この湖には今なお三つのナゾがある。一つは冬でも凍らないことだ。と言っても、熱い海の言葉通りの温泉が湧き出る湖ではなく、塩水湖であるためだ。また、この湖には多くの河川の水流が流れ込んでいるが、この湖から流れ出る川が一つもないことだ。
 もう一つのナゾは、湖底にオアシス都市が沈んでいると言う伝説だ。かつて、ここはシルクロードの要衝として栄えたが、ある時期天山の雪解け水が氾濫して湖底に沈んでしまったと言うのだ。事実、今でも湖岸の波打ち際には青銅器や土器が打ち上げれることがある。十数年前、NHK取材班が湖底を水中撮影し集落の跡を放映して話題になったこともある。

◆月光を浴びた神秘の湖面
 もちろん、ソ連崩壊とともに現在は外国人にも開放され、むしろキルギス共和国は、観光の目玉として大いに宣伝している。と言っても、われわれ日本人には依然として遥かなところだ。ソウル経由でまずカザフの前首都アルマトイ(現在の首都は北方のアスタナに移転)に飛び、そこからバスで八時間、途中海抜3000mの険阻な峠を越える。
 丁度、日が落ちかかる頃、遥か草原の彼方に帯のように広がる湖水がバスと並行して見え隠れしてきた。そのときはさすがに感激した。「やっと見たぞ。”幻の湖”イシククルよ」と思わず叫びたくなった。
 ホテルに着いたときは、もう周囲は暗くなっていたが、東の山の頂きから満月が昇る。白樺の樹間から月光を映してキラキラと湖面が光る。まさに神秘的な湖にふさわしい光景だ。

◆一夜明ければ俗世界の湖水浴場
 だが、一夜明けて驚いた。ホテルの裏庭からそのまま湖岸に出られるのだが、そこは何と江ノ島・片瀬海岸とそっくりの風景が展開されていたのだ。つまり海水浴場ならぬ湖水浴場なのだ。まだ、早朝だというのにパラソルのコーラ屋や浮き袋屋が店を連ね、拡声器が客を呼び込んでいる。沖にはモーターボートが走り回る。既に海水着に着替えて泳いでいる人もいる。
 あの神秘的な光景はどこへ行ってしまったのか。玄奘法師も、俗世界そのもののこの光景を見たら、何と記すだろうか。もっとも旧ソ連時代、ここは要人たちの保養地で別荘も点在していたというから、あるいは宜なるかな、と言うべきか。
 それでも得難い経験である。だからシルクロードの旅はやめられないのかもしれない。(了) 

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