シリーズ 私の趣味
永年の夢を乗せ、帆を挙げ、旗を掲げて
ー帆船模型入門の記ー
壁谷 道明(東中野/昭31年・政経)
◆不器用だった子供時代
子供の頃から不器用だった。習字、図画、工作すべて苦手。戦前の子供たちが良く作ったゴムヒモでプロペラを回して飛ぶ飛行機は最後まで完成したことはなかった。ロウソクの炎の熱でヒゴを曲げるのだが、よく燃やしてしまったし、翼の紙も綺麗に張ることができなかった。そのうち戦争は終わり、戦後は模型にはまったく無縁に過ごしていた。
◆プラモデルにのめり込んだ二十代
模型と関わりをもったのは、20代の後半に結核で8カ月程療養所生活を送らざるをえなかった時のプラモデルとの出会いである。退屈にまかせてプラモデルの飛行機を組み立ててみた。一応出来上がった。次に色をちょっと塗ってみた。ぐっと見栄えがするようになった。
それからプラモデルにはまり込み、飛行機は複葉機から爆撃機、戦車、クラシックカー、軍艦から帆船まで作ったが、仕事に復帰して忙しくなると縁遠くなっていった。
◆帆船模型の重量感に圧倒
帆船模型に初めて接したのは20年程以前になるが銀座伊東屋でのザ・ロープの展示会であった。その細かな出来上がり、重厚さに圧倒された。とてもこれは自分には作ることは不可能だと思った。
しかし興味はあったので毎年見に行っていた。伊東屋で開かれた帆船模型の講習会に参加したこともある。ところが講師の話すことも参加者の質問もちんぷんかんぷんでまるで判らない。それでも会社の定年が近づくにつれて定年後には帆船模型に挑戦したい気が高まっていった。
定年直前に伊東屋で初心者向きのキットを買った。プラモデルのつもりでキールにフレームをはめ込んでみたがそれまでで、それからどうしていいのか手も足もでない。
◆完成作品に、乾杯!
平成8年のザ・ロープ展示会の時、会場で帆船教室開催のお知らせを目にし、伊東屋の担当者に入会を強く要請しておいた。幸いにも定員の中に入ることができ、月に一回帆船作りのイロハから教えて貰えるようになった。
先生はザ・ロープの会長である奥村義也さんで、日本における帆船模型の草分け的な方であり、ご自身の帆船模型製作にかける意欲も極めて旺盛な方である。帆船模型製作に掛かる作業台の作り方から教わった。
キールにフレームを付け、外板を張ると船らしくなり創作意欲が高まっていく。甲板からキャビン、マスト、艤装と進みロープがけとなる。ロープの太さ、動索と静索のロープの色の違い(ヤードの上げ下げなどたえず動かすロープは麻色の糸で、マストなどを固定して動かすことのないロープはコールタールが塗ってあるので黒い糸を使用する)、糸にほこりが付着しない細工など教えてもらう。縄梯子まで全部自作である。
最後のロープを結び旗を掲げて完成だ。乾杯したくなるほどの感激だ。
◆さらに奥深き帆船模型の世界へ
奥村先生からの薦めもあり、拙い作品ではあったが平成九年のザ・ロープの展示会に出品させて貰った。
平成八年のザ・ロープの展示会を見た時 次の展示会に自分の作品が展示されるとは夢にも思っていなかった。その後二隻完成させ、いずれも展示会に出品させて貰っている。
帆作りもワイシャツ生地を紅茶で煮しめ、家内にミシンの使い方を教わりながら完成させたり、会場に搬入する為の箱作りに知恵を絞ったりと大いに楽しませて貰っている。
ザ・ロープの会にも入会させてもらい、会合やパーティーで帆船模型界では極めて著名な方達と懇談したり、いろいろなアイデアを教えてもらったりできるようになった。お陰で目ばかり肥えて腕のほうはさっばりといった昨今である。